人型流し…という言葉を、聞いたことはありますか?
日本では昔から、穢れを拒み遠ざけようとする
傾向があるのですが、人型流しは、生きている間に
自然と溜まってしまった穢れを、形代にのせて海や川へと流すというものです。
この人型流し、形代を用いるまでは、実際に人を流していたそうです。
つまりは、生贄です。
誰かに穢れを押し付け、自分たちは幸福になろう…
…日本では、そういう歪な勝者の理論がまかり通ってきたのかもしれません。
今日この記事を書いた理由が分かった方は、ゾッとするかもしれませんね。
あっ、もちろん、今日に限ったことではありませんが…。
祭日や祝日の類は、安心した気持ちになれません(^_^;)アハハ
人はいつになったら、誰一人犠牲を出さずに、支え合って生きていけるのでしょうかねぇ…。
スポンサーサイト
~Omunao様~
逃げ場など、どこに行ってもないのですね。
葛藤することが生きることなら、
私はもうしばらく死ねないようです(^_^;)アハハ
何かを実現させたいのなら、生きて証明していくしかありませんね。
From: ハラショー * 2013/07/10 16:08 * URL * [
Edit] *
top↑No title
こんにちは
相対峙は、自分の中にあるどうしようもなくあるもの、これを認知した上で、でも抗う
そんな意味で書きました
生贄も変わらないですよね
トカゲのしっぽ切もそうですし
個人的には、貴族が株主に、ブルジョアが経営者に、プロレタリアが従業員に変わっただけで、本質は何も変わっていないと思いますし……
ハラショーさんの言う矛盾
それを抱えて生きていくのだと思います
From: Omunao * 2013/07/09 06:26 * URL * [
Edit] *
top↑~シュナイダー様~
そう・・・ですかね?
今の世の中にも、深い根を残していると思いますよ。
何かを勝ち取ろうとするとき、
あぶれる人間が、痛みを受ける人間が出る訳ですから…
広義的には、それも生贄なのではないのでしょうか。
我々はいまこの瞬間にも、
無意識のうちに生贄を生んでいるのかもしれません。
今も昔も、ヒトは敵対する者に全てを押し付けて生きている・・・
とても恐ろしいことです。
From: ハラショー * 2013/07/08 15:15 * URL * [
Edit] *
top↑~Omunao様~
相対峙…受け入れるということでしょうか?
それとも、抗うということでしょうか?
どちらも正しいのでしょうが・・・。
やはり私は、今の世の中、世の理を、嫌悪しないではいられないようです。
そんな私も、こうして今日を生きている訳ですから、矛盾しているのですけどね…。
From: ハラショー * 2013/07/08 15:05 * URL * [
Edit] *
top↑No title
皆のために一人が犠牲になる。
聞こえは良いですが、やはり何か後味の悪い話ですよね。
生贄という概念は今となっては消え失せましたけど、
昔の人にとってはそれが当たり前で
そうしないと皆不幸になるという考えが
浸透していた証拠なんでしょうね。
No title
こんにちは
これは大きなテーマですよねえ。。。
犠牲……
牛や羊を我(のこぎりの刃)で切り裂き生贄として捧げる、それが「犠」
羊はひつじを前から見た形
美しいはひつじを後ろから見た形
神に捧げる完璧な生贄=美
もしかしたら「生贄」は人の起源からDNAに刻み込まれているのかもしれません……
でも、だからこそ、それと相対峙して生きていくことが問われているのだと思います
From: Omunao * 2013/07/07 21:48 * URL * [
Edit] *
top↑